赤城雨風と物語の風

バカバカしくて苛烈な純文学創作

ウソツキのイノチ

  私は、ウソツキです。強さを持ちえませんでした。着飾り、笑みを浮かべ、荒野に身を投げられませんでした。

わかってほしいのです。私は、怖かった。怖いのです。何もかもが怖いのです。自分もあなたにも、路傍の石にさえ胸が詰まるのです。町なかで赤毛むく犬に出くわしたらと想うだけで夜も寝濡れず、まして電車に乗るなんて擦り切れた雑巾の様になってしまうでしょう。何よりも、孤独を恐怖いたします。

ここには沢山のヒトがいます。ヒトは、何を考え何を感じるのでしょうか。まるで違う惑星に送り込まれたような気持です。私は異物なのでしょうか。

 

これは私の弱さでしょうね、私は逃げることができませんでした。取り残される不安の為に、私は動けませんでした。

唯一私にできたのは、サーヴィスすることです。必死のご機嫌取りと汗だくのおべっかです。過剰に同調し、首肯するのです。

いっそ白痴になれれば、いいのにと祈ったこともあります。特有のニコニコ顔で、期待されず求められず哀れまれて暮らしたかった。ああ、失礼なことでしたね。

 

  私はただナマケモノでしかないのでしょうか?
生活力、パンの為の力ともいうべきというものが足りないようです。糧を得る能力も摂取する能力も、まるで欠乏しています。お腹は減ります。空腹は苦痛です。それでも食べたくはないのです。腹部の痛みを宥め機嫌を取る為に渋々口に含むのです。私には苦痛に耐えるすべも知らないのです。

私には足りない物ばかりですね。手に入らないから、いつか失うから、あきらめたフリをしています。いつか人間は本当に一人になります。金持ちでも水飲み百姓でも、大老家であってもててなし子であっても、気狂いでも聖人でも、分け隔てなく絶対的に平等です。孤独は怖い。みんな怖いのです。

それを見ないフリをして、考えないフリをして、のうのうと生活できるヒトを憎みます。妬みます。

ショーペンハウエルを読みました。私は悲しくなりました。

 

だから私は呪いを掛けてあげるのです。「どうぞオシアワセニ」


  中身のない段ボールの様に、私のカラダも軟弱です。ぺこぺこのふにゃふにゃです。だからいつも肉体に屈するのです。私は女中です。抗えません。私は人一倍欲深いようで、快楽にことのほか抵抗できません。貪婪な分恥じる気持ちも大きく、私は精神と肉体の狭間で絶えず押しつぶされているのです。
生きているのは容易でなく、ここにいるだけで精いっぱいなのです。滝のような汗ととめどない流血によって、私はイノチを押しとどめているのです。
この上、何を求めましょうか?アナタは何が欲しいのですか?どうすればいいのですか?

 

  私はホントウのことを話せたのでしょうか。自分のことさえ不確かになっていきます。これが、ウソツクの末路にふさわしいですか。感傷?自涜?汝は乞食なりや?


それでも、私を、愛してくれますか?

死にたい季節に

美しい冬の彼女に。

 

 

17歳の私は、死にたかった。

不幸なことに、友人も家族も勉強も運動も大過なくこなせた。

お金も人付き合いも勉強も大切だと知っていた。

だからこそ、死にたかった。

 

感情を分からず持ち合わせず。

だから、学んだ。勉強、勉強。

ただただ、必死の道化。猪突猛進。

拍手が増えれば増えるほど、観客が増えれば増えるほど、虚が広がっていく。

クッキー缶は何時しか空に。

 

桐の化粧箱が欲しかった。

唐紅の渋い奴で宝石なんかひとつも着いていない奴が。

彼女は気高く綺麗で大人で。

クッキー缶は恋焦がれり。

恋焦がれて、投げ捨てた。

箱は壊れて戻らない。

私がやったんだ。

煙草と古本の匂いが残ったの。

 

煙草は虚しい。

古本は冷たい。

孤独を製造、癒しはしない。

彼女は死んだ。

 

胸に子宮に五臓六腑に、立ち退き勧告。

あるべき姿に還りなさい。

身体を肉へと返りなさい。

耳目が無いから分かりません?

あらら、これじゃあ家主、失格だ。

 

私は、死ななかった。

彼の人々は、正しい。

人は神に取って代わった。

救済は内から。

 

死に至る苦しみは、鈍く狡猾だ。

首から下に、麻布団の重さでカシミアが帳を下ろす。

色は褪せ、音はズレる。

さながらトーキーだった。

そうであれば良かったのに。

現実は日々は世界は、字面よりも穏やかで画面よりも苛烈だ。

 

真の苦しみは閉じ独立し循環する。

何時か抜けると言われても、その何時かが遠くて終わりは見えなくて。

堕ちてゆく程、醜い。

 

素敵な本に出会った。

泣いたら寿命が一日延びた。

次の日、死のうと思った。

 

身支度を整え、遺書を書いた。

ビルの屋上に立った。

刃物を首筋に当てた。

鉤の縄に首を掛けた。

黄色い線の外側に立った。

それでも、死ななかった。

徒労に継ぐ徒労。徒労又徒労。

感慨も諦観も起伏も欠けていた。

死ぬことすらままならなかった。

それすら誰にも悟らせず。

 

眠れない日々が続く。

切れ切れの不定形の微睡みが辛うじてあった。

 

 

今はまだ断片だけど、何時か本にしてあげる。評価されなくても、売れなくても、自費出版でも、必ず。今はまだ書けなくて整理できなくて凍える私だけど、遠くない未来にきちんと貴方の物語を紡ぐよ。

今年も冬が終わるね。

四畳半王国見聞録 「蝸牛の角」を整理!

森見登美彦『四畳半王国見聞録』

*読んだことある方を対象に、時系列や場所や人物や団体や各編の繋がりを整理したものです。

*ネタバレアリです。

 

今作は、連作短編集になっていて、『四畳半神話大系』や『新訳走れメロス他4編』などの小説に出てくる団体名や人物が登場してきます。

その為、ただでさえムツカシイ(注意しながら読む)森見登美彦の作品の中でも、かなりムツカシイ部類に入ると思います。ほんとに。

それらを読んだ後の方がニヤニヤしながら読めると思います。

鴨川デルタでも、叡電の中でも、四畳半でも、好きな所で読んでください。

 

『四畳半王国見聞録』は7編からなっています。

目次の順番ですと、

・四畳半王国建国史

・蝸牛の角

・真夏のブリーフ

・大日本凡人會

・四畳半統括委員会

・グッド・バイ

・四畳半王国開国史

となっています。


しかし、各編の繋がりを考慮すると、

・蝸牛の角

・真夏のブリーフ

・四畳半統括委員会

・大日本凡人會

・グッド・バイ

・四畳半王国建国史

・四畳半王国開国史

の順番で読むのが1番理解しやすきかなと。

今回はこの順番でやらせていただきます。悪しからず。

まぁ、好き好きなので参考にしたりしなかったりしてください🙏

 

 

「蝸牛の角」は作中の場所と集団をほぼ網羅してあるので、初めに読むと何となく全体が掴めるので、オススメです✌️

 

7つの世界(場面)からなり、それぞれの世界が連続していて、違う世界の影響を受けてドミノ式に展開して行く仕組みです。

*「蝸牛の角」では、1が1番大きな世界で、7が1番小さな世界です。

 

1.下鴨幽水荘

浴衣の男(樋口)とぬらりひょん的学生と文学青年風学生と黒髪の乙女の学生が阿保神について話し合い、文学青年風の虫歯を治すべく阿保神に電話をする。

 

2.鞍馬山(=文学青年風の虫歯にある)

勉強せねばと思い立った芽野はマンドリン弾きの丹波にだまされ、修行の旅に出て迷子になり、イノシシに出くわす。

 

3.四畳半アパート(=鞍馬山のカタツムリの角の上にある)

図書館警察の小津が忘年会の準備を押し付けられ困っている

 

4.阿保神の祠-哲学の道(=お猪口みたいな小津の顔の淵にある)

法然学生ハイツの屋上にある、四畳半統括委員会が作った祠を、大日本凡人會の面々が参拝し罵倒し、メンバーの一人(丹波)がバイト仲間の乙女と交際しているのを知り、激高。アパートに殴り込みに行くが不在で、夜の哲学の道蛍を歩くが蛍の点滅が見えず、怒りをシュレディンガーの猫にぶつける。

 

5.淀川教授の部屋(=シュレディンガーの猫の額の上にある)

狸大好きな栄養学の教授、淀川の部屋に学生(鈴木)が単位をくれるように嘆願する

 

6.鴨川デルタ(=淀川教授の部屋のヤモリの足裏)

丹波マンドリン辻説法を行っている。

 

7.阿保神の四畳半(=丹波マンドリンに通じている)

太古の昔、男汁が何かの拍子に凝固し四畳半ができた。宇宙に遍在する四畳半は、すべてこの四畳半の影である。テレビを見て、本を読み、卵かけご飯を食べる。

樋口から電話が掛かってくるが突っぱね、阿保ダンスを踊る。

 

6.鴨川デルタ(=淀川教授の部屋ヤモリの足裏)

阿保踊りのリズムがマンドリンに伝わり素晴らしい演奏になり、デルタに座っていた男たちの嗚咽とハーモニーを奏でる。

 

5.淀川教授の部屋(=シュレディンガーの猫の額の上のにある)

マンドリンと嗚咽のハーモニーが、スチールラックに引っ付いていたヤモリの足裏に伝わり淀川教授の肩に落下。ヤモリを取ってあげた学生(鈴木)は、代わりに再試験を受けられ単位を取得。淀川教授の研究室に入り、研究室で出会った美人に良いとこを見せるべく頑張り、仄かな恋の予感が芽生える。

 

4.阿保神の祠-哲学の道(=お猪口みたいな小津の顔の淵にある)

鈴木の学園生活にバラ色の甘い汁が注がれ、猫はその汁に頭を振った。飛び散った汁が降り注ぎ、水面を揺らし、蛍が点滅しだす。それを見た大日本凡人會の面々は怒りをおさめ、罵倒した阿保神に感謝し祭壇を作る。

 

3.四畳半アパート(=鞍馬山のカタツムリの角の上にある)

阿保神の祠の大きさは小津の器の大きさに関係し、小津は忘年会への無理難題をすべて引き受け、わけのわからない規模のどんちゃん騒ぎになり、幹事の小津を探そうにも見つけられない。

 

2.鞍馬山(=文学青年風の虫歯にある)

タツムリは角の上で繰り広げられるどんちゃん騒ぎで笹の葉から滑り落ち、イノシシの鼻にぶつかる。逆上したイノシシから芽野は必死で走り、貴船口まで逃げる。一息ついた芽野は、地道に勉強することを誓い、風の響きを聞きながら胸を爽快な風が通るのを感じる。

 

1.下鴨幽水荘

虫歯に風が通ったと感じると痛みが治まり、ますます阿保神を辛抱するようになる。黒髪の乙女の学生は、「見渡すばかり阿保ばかり」と吐き捨てる。

 

どうでしたか?ドミノ的な展開で、それぞれの世界が丸く収まっていくのは見ていて気持ちがいいですね!

この後も引き続き、「阿呆神」や「詭弁部」や「大日本凡人會」などがキーワードとなって展開して行きます✨

 

微力なりとも、『四畳半王国見聞録』を読むの手助けになりましたら幸いです。

気が向いたら、また他の編も整理しますね〜🙄

乞うご期待!(しないで!笑)

路傍の草

*詩歌や童話を意識しました。

 

 

花の少女と雑草の木こり。

二人は村に暮らしてた。

 

ああ、カワイソウ。

木こりは、キライ。

粗野で、粗暴で、粗相モノ。

ロクデナシだと、噂され。

 

ああ、カワイイ。

少女は、キレイ。

華奢なカラダに、豪華なドレス。

銀雫に、金の果実。

春の村を、飾り付け。

 

ああ、カワイソウ。

花の花弁は、秋には落ちて。

村人達は、もみじに夢中。

落ちた少女は、ひとりきり。

 

少女は大人になり、暫しよくあるように、美しさを置き忘れてしまった。

背が伸びて服のサイズが変わるように、飛び抜けた見目は平凡に溶け入った。

もう誰も褒めてくれない。

もう誰も恵んでくれない。

もう誰も愛してくれない。

甘やかしされた時間が長すぎて、身の回りの事を外注しすぎて、女は何も出来なくて。

村人達は女に目もくれず、別の少女に夢中で追いかけ回した。

 

女は日がな一日、泣いて暮らした。

冬になると、女は床に伏しやせ細った。

今際の時に、見舞うは木こり。ただ一人。

女は朧気な視界と思考の中、雑草の事を考えた。

「雑草は時間の孤独なのね」

「意識ではないのだわ」

「人知れず踏み倒され、人知れず背を伸ばす」

「つまり、時の結晶だわ」

女はそう言い残すと、最後の息を吐き尽くした。

木こりは、一滴だけ涙を流した。

少女の為ではなく、女の為に。

女の為だけに。

無色の唄

エイミー・ベンダー/菅啓次郎 訳 っぽく

*多少性的な描写あり

 

祖母の家には、大きな蔵があった。

祖父が建築業を営んでいた名残で、5歳の私をすっぽりと覆い隠してくれた。暗く湿った空気は、熟れて落ちたアプリコットに似た、甘い匂いがした。何時間でも中にいて、ホコリまみれ私を、ママは叱った。

 

初めての恋人、ダンと彼の家のガレージでおまんこした。私達は犬みたいに中古のワーゲンに伏し、せっせ、せっせと私のおまんこを、私の乳首と同じ硬さのおちんちんで、いっぱいにした。

 

今、私の家には、比較的大きめのクローゼットがある。フランス製の年代物で、良く熱したカラメル色をしている。その中で、夫のジョンと抱き合うのが好きだ。彼の唇が輪郭を撫で、まさぐり、入ってくる。湿度と音の箱庭で、私は空気に溶けていき、扉に彫られた天使のレリーフと同化する。左右2体天使は、皆盲目で、何かを囁いている。

 

朝、食事を終え、ガーデニングを始めた。よく手入れされた芝だと、ジョンが褒めるのを聞くと、少しもの寂しくなる。赤いポストの中に、小さな青い花が数本入っていた。勿忘草だった。

「ドクショカ」

 
 諸君!
 今日は忙しい中、私の「ノーベル生物学賞受賞記念講演会」に来てくれてありがとう。
このような機会に恵まれ、身に余る光栄だ。
今回のことは、私にとっても、寝耳に水どころの騒ぎでは無かった。
まさかとは思うが、私がノーベル生物学賞を受賞すると予期したものはおらんよな?
がはは。
講演会をするなど初めてのことなのでな。肩ひじ張らずに、無作法を通させていただこう。がはは。

 

 さて、私に話せることといえば、やはり”ドクショカ”だけであろう。
このドクショカについての研究が評価され、こんな講演会をさせられているのだが。がはは。
とかく、話すとしよう。
 殆どの者が今回の騒ぎでしたように、ドクショカは、非常に稀有な生物だ。
 先ず、その個体数が少なく、生息地が限られているのだ。学校で言えば、一クラスに一人いるかいないか程度で、社会に出るともっと少ないだろう。
諸君らは、電車の車内をつぶさに観察したことのあるものは、いるだろうか?その中でドクショカを発見したことのあるものは?皆無であろう。
電車の車内には、もっぱら四角い電子機器を指でなでる、スマート=ホン=ゾンビが生息しているが、このことはまた別の機会に話そう。

 兎に角、我々が日常生活の中でドクショカを見かけることはまれだ。


 では、どこに行けばドクショカに会うことができるだろうか?
ドクショカは、聖地ジンボウーチョーをはじめ、HONNYAや雷(らい)武(ぶ)羅(ら)理(り)という場所には、特別多く分布している。国外のドクショカについても、国内と大差はない。書物が多い場所に集まるの傾向があるのだ。
詳しく知りたい者は、『ドクショカの生態(デタ=ラメー 著/四月フール書房)』を読みたまえ。

    生息地が偏る理由は、明白で、ドクショカの奇妙な生態に関係がある。
ドクショカは、ほ乳類であり人と近似した容貌を有しているが、その実、両者の間にはかなりの距離があるのだ。

 

 続いてドクショカの珍しい生態を話すとしよう。先ほど言ったように、ドクショカと人間の差異は大きい。専門用語でいうところの、「京極夏彦の文庫一冊分」だ。専門家でない諸君に、わかりやすく説明すると、「死に至る」程度である。イメージできたであろう?
 
 では、なぜ書物の多い場所に集まるかというと、書物があれらの動力源であるからだ。

ドクショカは、所謂食事による栄養摂取をあまり必要としない。まったくと言ってよいほど必要としない。個体にもよるが、往々にして、ドクショカはやせ細り青白い顔をしており、その為に我々に比べると短命である。

暫し、自死する個体も見受けられるが、多き謎のうちの一つだ。

 

 書物により生き永らえるドクショカは、当然ながら、書物の在り方によって変化してきた。文字が岩に刻まれたことで誕生し、活版印刷技術の発展により飛躍的に数を増したものの、マンガ=ジャンプやアニメ=エロゲーなどの生物種が台頭してきた結果、大幅にその数を減らした。
体重が重く体も大きいドクショカ=ペーパーが衰退する一方、変異種で小型軽量のドクショカ=ペーパーホワイトが勢力を増してきてはいるものの、絶滅が危ぶまれているのだ。

 

 また、ドクショカの特徴として、集団を形成する場合がある。主に好む書物の種類によって大別されるのだが、細かな区別は、はなはだ困難である。各個体の好みがてんでバラバラなのだ。
    一応、各集団はコロニーを持ち特定の日時に、各信仰対象を悼む儀式が行われる。例えば、ピーチ忌やカタツムリ忌などがある。

    しかし、コロニー間やコロニー内部での諍いが絶えず、時には血で血を洗う凄惨な事態になることもある。どうしようもない生き物だ
私の著書『読むという生き物(積ん読し過ぎに気を付けて 書院)』に、より詳しいことを記載してある。ぜひ購入してくれ。中古で買ってくれるなよ。印税が、はいらないからな。
がはは。

 

 さて、ここまで長々と話してきたが、最も大事なことを伝えよう。
    ドクショカは、単純で、アホで、変なこだわりが強くて、財布の紐が緩く、収納スペースはなくなり、転居の際に死ぬほど苦労し、理解されず、蔑まれ、そして絶滅の危機にある。
    しかし、あれらはあれらで、経済を回し、文字を繋ぎ、私たちに貢献しているのだ。
    そして、あれらが絶滅したとき、我々は、今までに築いてきた文明や歴史を失う。

決定的な敗北がもたらされる。
そんなことは許されない!許してよいはずがない!
    では、我々に何ができるのか?非常にシンプル策を一つ、提示しておこう。
我々が無理に、ドクショカになる必要は、まったく無い。
諸君!書店で本を買い、読め!
我々が我々である為に、ドクショカがドクショカである為に!


それでは、失敬。